RSS | ATOM | SEARCH
木村雅道君

三国高校の同級生で大学でも同期だった木村雅道君の通夜に参列する。彼とは大学時代に川越市の同じアパートに住むなど同じ釜の飯を食う仲だった。その明るいキャラクターは絶えず周囲にポジティブな影響をもたらし、彼のいるところは常に笑いが絶えなかった。

大学卒業後、祖父から魚屋を受け継ぎ、自身でも居酒屋を立ち上げ働きに働いていた感じだった。ご遺族によれば1年ほど前から体調を崩していたとのことだが、それでも気丈に店に立ち続けてきたという。彼らしいと言えばそれまでだが、できれば治療に専念してほしかったと思う。

高校・大学を通して彼との思い出は尽きない。彼の言葉で助けられたこともあった。もうあの笑顔を見ることができないというのが切ない。さようなら雅道君、傍にいる人をいつも明るく温かい気持ちにしていた君を忘れることはない。

author:辻ひとし, category:惜別, 19:10
-, -
霜実男さん

 

昨日の夕方、アスピカホール天珠で行われた前越前市議会議員の霜実男さんのお通夜に参列させていただいた。霜さんとは越前三国競艇企業団議会議員として、また自治労福井県本部組織内・協力議員として一緒に行動をさせていただく機会が多かった。

温厚篤実なお人柄で、会議などで霜さんがエキサイトしたり、怒りをあらわにしたりする場面を一度も見たことがない。いわゆる「誰からも好かれるタイプ」という人だったと思う。

やはり仲間と別れるのはつらい。霜さんの遺影を拝見した時、もうお話をすることもないのかと思うと涙が出てきた。さようなら霜さん、生前のご厚情に深く感謝し、衷心よりご冥福をお祈り申しあげます。

author:辻ひとし, category:惜別, 21:38
-, -
山本洋次議員

 

今月5日に亡くなった前坂井市議会議員の山本洋次さんを追悼する声が多い。洋さん(山本さん)はその歯に衣着せぬ物言いで、しばしばアウトロー的に取り上げられることがあったが、洋さんの懐の深さが都度それを払拭していた。良くも悪くもインパクトの強い人だった。議員としては同期生だったが、社会人としては雲の上のそのまた上の人だった。

常に我が道を行くような人だったが、2期目の選挙が終わった直後、洋さんからあることで相談を受けた。私が「洋さんの言う通りだと思いますよ。それでいいと思いますよ」とお答えすると、「そうか、君もそう思うか」と自分に言い聞かせるようにおっしゃっていた。ここでその内容を述べることはできないが、今でもその判断は正しかったと思っている。

それから時を隔てて、上の写真を写した日に洋さんからあることを託された。そのことは今も現在進行形だが持続していくことは簡単なことではない。しかし事あるごとに洋さんから発破をかけられているような気がしている。在りし日を偲び、謹んでご冥福をお祈りいたします。

author:辻ひとし, category:惜別, 21:22
-, -
葬儀・告別式

正午から坂井市内で義母の葬儀・告別式。義兄や家内らの要望で近親者だけの家族葬とさせていただいた。近い親戚だけによる水入らずのお葬式で義母をお見送りした。

女手一つで3人の子どもを育て、自らは決して派手な生活を好まなかった。人の目や世間のしきたりを気にする方ではなく、気楽にお付き合いのできる人だった。いつも私の議会活動を温かく見守ってくださったが、政治に対して厳しいご意見をいただくこともあった。今は感謝の言葉しかない。

本当にお世話になりました。ありがとうございました。

author:辻ひとし, category:惜別, 20:27
-, -
名残の雪
夕方、14日に急逝した嶺北消防組合消防士の稲田哲典君のお通夜に参列する。2月も後半だというのに吹雪いていた。

稲田君とは三国南小学校から三国高校までの同級生であり、子どもの時から今日までお互いに腹を割って話すことができる仲だった。中学生時代は二人で公害問題に取り組み大人ばかりの集会に参加したり、高校受験では苦手分野の科目を克服するために一緒に勉強もした。
彼は弁舌がたち、中学生時代からいつも目立つ存在であり、10代の私は彼から計り知れない影響を受け、今もそれを引き継いでいる。

私が千葉市の会社の寮に住んでいた時に、一度だけ福井から遊びに来てくれたことがあった。彼が上京してきた目的が出張だったのか遊びだったのかは記憶にないが、わざわざ千葉まで訪ねてきてくれたのがうれしかった。その日は日付が変わるまで二人で痛飲した。

今月の5日に三国観光ホテルで行われた三国地区区長会の懇親会で彼と久しぶりに話をさせていただいた。今年から地区の区長会の代表になってしまい大変だと話していたが、一方で勤めている嶺北消防組合を3月いっぱいで早期退職するとも話していた。その時は体調が悪いという印象はなく、それが原因での早期退職ではなかったと思う。「またゆっくりやろう」と言ってその場を離れたのが彼との最後となった。

その風貌から、豪放磊落で型破り的なイメージがあるが、実際には彼は何事にも慎重で一つ一つ積み上げていくタイプだったと思う。彼が消防組合を退職し、いわば「自由の身」になったら、きっと私たちを巻き込んだ何かを始めただろうと思う。それが町おこしにせよ農業にせよ、世間の物差しでは測れないようなことを考えてくれたと思う。そしてそれはきっと、退屈する私たちの日常をそうでない日常にしてくれるものに違いない。そう考えると、稲田君との早すぎる別れが残念でならない。

さようなら稲田君。あなたと同じ時代に生まれ、同じ空間で過ごせたことを私は誇りに思います。
author:辻ひとし, category:惜別, 20:57
-, -
伯父の葬儀


9月27日に他界した伯父の中田甚三郎氏の葬儀に参列する。実父を早く亡くした私にとって、その後の伯父は私の父親代わりだった。大学生時代、社会人時代ともに私の身元保証人になってくださったほか、選挙の際にも大変お世話になった。
私の父親が亡くなったとき、「なあ人志、これ以上悲しんでもしょうがないじゃないか。俺もお前の歳くらいに父親と死に別れたんだ。今のお前の気持ちはよくわかるよ」と言ってくださった。あの時どれだけ私の気持ちが癒されたか、今でもその感謝の気持ちは忘れない。甚三郎さん、今日まで本当にありがとうございました。
 
author:辻ひとし, category:惜別, 22:09
-, -
墓参
シルバーウイークで家族がそろったところで我が家の愛犬だったタカシの墓参りに行く。本ブログでの報告が遅くなってしまったが、タカシは去る8月31日に老衰のため亡くなった。享年17歳、人間なら100歳を超える歳で、いわゆる大往生である。最期は苦しむこともなくすっと眠るような感じだった。今はあわら市内にある動物の共同墓地に眠っている。
誰構わずよく吠える犬だったが、我が家にとっては立派な番犬だった。そしてタカシには何度も癒された。今頃は共同墓地の中で、他の犬や猫たちと仲良く暮らしているのだろうか。今は彼への感謝の気持ちでいっぱいだ。
author:辻ひとし, category:惜別, 18:27
-, -
恵雲寺ご住職の遷化

門前に立てられた山門不幸の立て札

私の住む地区にある曹洞宗恵雲寺のご住職である大綱信雄さんが遷化された。大綱さんは恵雲寺を継ぐために16歳の時に富山から単身三国町に来られ三国高校に編入学されたとのこと。福井大学卒業後は技術者として活躍される一方、自坊の恵雲寺のご住職として親しまれていた。
境内にある天満宮の祭礼では神職を務めていただくなど、僧侶としてはもちろん地元の名士としても人望の厚いお方だった。

先週の初天神の際にお会いした時は元気なご様子だっただけに、急死の報に驚くばかりだった。あの日、神事が終わって恵雲寺の玄関を出る際に「お疲れ様でした」と会話をしたのが最後になった。
4月に行う天満宮保存会の研修旅行に毎年奥様とともに参加されていたが、今後はご一緒できないのが残念でならない。

大綱さんのこれまでのご功労に敬意を表しますとともに、心からご冥福をお祈りいたします。

author:辻ひとし, category:惜別, 21:16
-, -