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佐原邦男さん

 

10年以上の長きにわたって私の後援会長をしてくださっている佐原邦男さんの訃報を聞いたのは一昨日の朝だった。まさかの訃報に耳を疑ったが、その後も複数の方から佐原さんが亡くなったとのお電話をいただいた。その日の午前中、ご自宅にお伺いしてご遺体に対面させていただいた。これまでの御礼を申し上げようと思ったが、涙で言葉が出なかった。

気さくで陽気なお人柄で、宴会の時はもちろん、会議などでもいつも存在感を発揮しておられた。何かと役員を務め、男の料理教室では腕を磨き、余計なことは言わず、決まったことはすぐに実行に移す。そんな人だから抱えきれないほどの役職を担ってこられた。まさに東奔西走の人生だったのではないかと思う。

佐原さんのご指導で、私が市議会議員として歩むことができていることに心より感謝し、深い哀惜の思いを込めて心からのご冥福をお祈り申し上げます。

author:辻ひとし, category:惜別, 16:31
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橋本充雄君

 

橋本充雄議員の訃報を聞いたのは市議選が終わり今後の議会運営のことを考えていた矢先だった。

橋本君とは小学生からのお付き合いで、三国高校時代は3年間クラスメイトだった。大柄な体とは対照に優しい人柄で、気配りも上手だった。高校時代から発揮していたリーダーシップは議会人になってからも同様で、常に牽引役だった。私としては、腹を割って話すことができる数少ない友人の一人だった。

橋本君、さようなら。出来ることならば、もう一度一緒に酒を酌み交わし話をしたかった。 心からご冥福をお祈りします。

author:辻ひとし, category:惜別, 15:08
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追悼 辻一憲さん

 

諸行無常とは言え、あまりにも辛すぎる別れだ。

常に冷静沈着で温和な人だった。親戚ではないが苗字が同じなので、いつも下の名前で呼び合っていた。直接お会いする時も電話で話をする時も毎回「人志さん」「一憲さん」で始まる会話だったこともあり親しみを感じていた。

 

多くの方がおっしゃっているように、日の当たらない人に寄り添う政治家だった。

2015年の秋に一憲さんと二人で北海道釧路市を拠点として生活支援事業を展開している特定非営利活動法人を訪問し、理事長さんからお話を伺い施設を見学せていただいた。専門的な内容に戸惑う私を尻目に、一憲さんは矢継ぎ早に理事長さんを質問攻めにしていた。そして生活保護世帯の学習支援や障がい者の就労支援の拡大について熱く語っておられた。

 

その翌日には。釧路市内で開催された民主党(当時)北海道女性議員等連絡会議の道東ブロック研修会に二人でオブザーバーとして参加した。研修会終了後の懇親会では、女性議員ゼロの状態が続く民主党福井県連の今後の取り組み方について北海道の女性議員の方々と語り合った。その日は一憲さんも私も痛飲し翌朝がつらかったのが今では思い出だ。

 

一憲さん、お世話になりました。今まで本当にありがとうございました。今後の私の議員活動において、常に弱者の立場で考え行動していた一憲さんの政治姿勢を手本にしていきたいと思います。

感謝合掌

author:辻ひとし, category:惜別, 10:47
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木村雅道君

三国高校の同級生で大学でも同期だった木村雅道君の通夜に参列する。彼とは大学時代に川越市の同じアパートに住むなど同じ釜の飯を食う仲だった。その明るいキャラクターは絶えず周囲にポジティブな影響をもたらし、彼のいるところは常に笑いが絶えなかった。

大学卒業後、祖父から魚屋を受け継ぎ、自身でも居酒屋を立ち上げ働きに働いていた感じだった。ご遺族によれば1年ほど前から体調を崩していたとのことだが、それでも気丈に店に立ち続けてきたという。彼らしいと言えばそれまでだが、できれば治療に専念してほしかったと思う。

高校・大学を通して彼との思い出は尽きない。彼の言葉で助けられたこともあった。もうあの笑顔を見ることができないというのが切ない。さようなら雅道君、傍にいる人をいつも明るく温かい気持ちにしていた君を忘れることはない。

author:辻ひとし, category:惜別, 19:10
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霜実男さん

 

昨日の夕方、アスピカホール天珠で行われた前越前市議会議員の霜実男さんのお通夜に参列させていただいた。霜さんとは越前三国競艇企業団議会議員として、また自治労福井県本部組織内・協力議員として一緒に行動をさせていただく機会が多かった。

温厚篤実なお人柄で、会議などで霜さんがエキサイトしたり、怒りをあらわにしたりする場面を一度も見たことがない。いわゆる「誰からも好かれるタイプ」という人だったと思う。

やはり仲間と別れるのはつらい。霜さんの遺影を拝見した時、もうお話をすることもないのかと思うと涙が出てきた。さようなら霜さん、生前のご厚情に深く感謝し、衷心よりご冥福をお祈り申しあげます。

author:辻ひとし, category:惜別, 21:38
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山本洋次議員

 

今月5日に亡くなった前坂井市議会議員の山本洋次さんを追悼する声が多い。洋さん(山本さん)はその歯に衣着せぬ物言いで、しばしばアウトロー的に取り上げられることがあったが、洋さんの懐の深さが都度それを払拭していた。良くも悪くもインパクトの強い人だった。議員としては同期生だったが、社会人としては雲の上のそのまた上の人だった。

常に我が道を行くような人だったが、2期目の選挙が終わった直後、洋さんからあることで相談を受けた。私が「洋さんの言う通りだと思いますよ。それでいいと思いますよ」とお答えすると、「そうか、君もそう思うか」と自分に言い聞かせるようにおっしゃっていた。ここでその内容を述べることはできないが、今でもその判断は正しかったと思っている。

それから時を隔てて、上の写真を写した日に洋さんからあることを託された。そのことは今も現在進行形だが持続していくことは簡単なことではない。しかし事あるごとに洋さんから発破をかけられているような気がしている。在りし日を偲び、謹んでご冥福をお祈りいたします。

author:辻ひとし, category:惜別, 21:22
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葬儀・告別式

正午から坂井市内で義母の葬儀・告別式。義兄や家内らの要望で近親者だけの家族葬とさせていただいた。近い親戚だけによる水入らずのお葬式で義母をお見送りした。

女手一つで3人の子どもを育て、自らは決して派手な生活を好まなかった。人の目や世間のしきたりを気にする方ではなく、気楽にお付き合いのできる人だった。いつも私の議会活動を温かく見守ってくださったが、政治に対して厳しいご意見をいただくこともあった。今は感謝の言葉しかない。

本当にお世話になりました。ありがとうございました。

author:辻ひとし, category:惜別, 20:27
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名残の雪
夕方、14日に急逝した嶺北消防組合消防士の稲田哲典君のお通夜に参列する。2月も後半だというのに吹雪いていた。

稲田君とは三国南小学校から三国高校までの同級生であり、子どもの時から今日までお互いに腹を割って話すことができる仲だった。中学生時代は二人で公害問題に取り組み大人ばかりの集会に参加したり、高校受験では苦手分野の科目を克服するために一緒に勉強もした。
彼は弁舌がたち、中学生時代からいつも目立つ存在であり、10代の私は彼から計り知れない影響を受け、今もそれを引き継いでいる。

私が千葉市の会社の寮に住んでいた時に、一度だけ福井から遊びに来てくれたことがあった。彼が上京してきた目的が出張だったのか遊びだったのかは記憶にないが、わざわざ千葉まで訪ねてきてくれたのがうれしかった。その日は日付が変わるまで二人で痛飲した。

今月の5日に三国観光ホテルで行われた三国地区区長会の懇親会で彼と久しぶりに話をさせていただいた。今年から地区の区長会の代表になってしまい大変だと話していたが、一方で勤めている嶺北消防組合を3月いっぱいで早期退職するとも話していた。その時は体調が悪いという印象はなく、それが原因での早期退職ではなかったと思う。「またゆっくりやろう」と言ってその場を離れたのが彼との最後となった。

その風貌から、豪放磊落で型破り的なイメージがあるが、実際には彼は何事にも慎重で一つ一つ積み上げていくタイプだったと思う。彼が消防組合を退職し、いわば「自由の身」になったら、きっと私たちを巻き込んだ何かを始めただろうと思う。それが町おこしにせよ農業にせよ、世間の物差しでは測れないようなことを考えてくれたと思う。そしてそれはきっと、退屈する私たちの日常をそうでない日常にしてくれるものに違いない。そう考えると、稲田君との早すぎる別れが残念でならない。

さようなら稲田君。あなたと同じ時代に生まれ、同じ空間で過ごせたことを私は誇りに思います。
author:辻ひとし, category:惜別, 20:57
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