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最後の人形師

岩堀さん製作の山車人形(猩々舞・2011年・元新区)岩堀さん製作の山車人形(明智光秀・2011年・下台区)

三国祭で巡行する山車の武者人形を製作している人形師の岩堀耕治さんが亡くなった。
まだ56歳の若さである。今年の三国祭の前、食事をしながら今後の祭のあり方などについて話したのが最後になった。その時は病の気配すら感じなかったので、ただただ、驚くばかりだ。

今年も三国祭に巡行した6体の山車人形のうち4体を岩堀さんが製作している。岩堀さんが描く武将の顔はまさに勇壮そのもので、江戸時代から脈々と続いてきた三国の人形師の技術を現代に伝えている。
現在は山車人形を自主製作している自治会や独自に人形製作している山車の会があり、それぞれが力作を巡行させているが、それでも岩堀さんが抜けた穴は当面埋めようがないだろう。ご生前のご功績を偲び、心からご冥福をお祈りいたします。

author:辻ひとし, category:惜別, 22:37
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岡本議員葬儀・告別式

区議会本会議場にて記念撮影
▲練馬区議会本会議場にて
(2008年5月、岡本議員と市民クラブの合同視察を行った時に撮影)

坂井市議会の岡本正義議員の葬儀・告別式に参列する。享年69歳、議員としてはまだまだこれからという年齢だ。
所属政党も会派も違ったが、初当選以来、新人議員の私にいつもアドバイスをしてくださった。学生・サラリーマン時代を通して、あれだけ懐深い人に会ったことがない。

岡本さんは豪快な酒飲みだった。しかし「からむ」ようなことは一度もなく、酒の席でも私の話をじっくりと聞いてくださった。

ある時、お互い小松行き最終便の飛行機に乗り遅れ、東京のホテルで一夜を過ごすことになった。その日は都内のホテルが混んでいて、別々のホテルにチェックインしたが、午前0時を過ぎたころ私の携帯が鳴った。

岡本議員からだった。

「辻君、何をしてるんだ」

「何をしてるって、これから寝るところです」

「飲みに行くぞ」

「えっ、今からですか」

「もう君が泊っているホテルの下まで来ている」

あうもこうもなかった。それから午前3時まで、岡本議員の独壇場だった。
決してご自分の自慢話とかはしなかった。その時も議員としての立ち居振る舞いについて熱く語ってくださった。

半月ほど前、電話で、「ムネオさん(鈴木宗男前衆議院議員)とまた一緒に食事に行きましょう」と話したのが最後になった。これからも教えを請うべき方であったのに、本当に悔しく残念でならない。

さようなら岡本さん、本当にお世話になりました。ありがとうございました。

author:辻ひとし, category:惜別, 23:00
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下迫一美さん

三国町小学生親善野球大会開会式で選手宣誓を受ける下迫さん(右端)2009年8月3日・三国運動公園野球場にて

午前中、16日にお亡くなりになられた下迫一美元三国町議の告別式に参列する。下迫さんは10期40年の長きにわたり議会人として町政発展のために働いてこられた方であるとともに、菅直人氏が最初に民主党を立ち上げた時に三国町の党員第一号となり、以来民主党福井県連発展のために尽くしてこられた政治家だ。

私が議員を目指すにあたり最も影響を受けた人物であり、当選後も幾度となくアドバイスをいただいた。2008年秋の叙勲で下迫さんが瑞宝単光章を受章された時、お祝いの会をしたいと申し出ると、「それだけは絶対にやめてくれ」と固辞され、まだまだ自分はそんな器じゃないからとおっしゃっていた。

気さくで温厚な人柄は若い人をも引き付けるとともに、少年野球の普及にも貢献されていた。ご生前のご厚情に深く感謝するとともに、心からご冥福をお祈り申し上げます。

author:辻ひとし, category:惜別, 23:56
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諸行無常

正門前に掲げられた『山門不幸』の看板

滝谷寺ご住職で三国中学校PTA会長の貝谷隆覚さんが逝去された。体調が悪いことは伺っていたが、重体ということはないだろうと思っていた。

日中、弔問のために三国中PTA関係者の方といっしょに滝谷寺を訪れ、貝谷さんに別れを告げた。お寺の入り口には住職の遷化を意味する「山門不幸」という札が掲げられていた。

貝谷さんに初めてお会いしたのは2年前の12月7日だった。滝谷寺の境内がうっすらと雪化粧していたのを覚えている。三国中学校の次期PTA会長就任を要請するのが目的だった。由緒あるお寺のご住職らしく品格がある方だなというのが第一印象だった。
その後、3度目の訪問でようやく会長就任を引き受けてくださった。その際に「俺はPTAのことは何も分からないんだから引き継ぎはしっかり頼むよ」というようなことをおっしゃったと記憶している。

あれから2年、東海北陸大会発表校のPTA会長として責務を果たした後、体調を崩されたとのことだった。
私もそのうちの一人だが、卒業式や入学式で貝谷さんが生徒たちにどんな言葉を贈るか楽しみにしていた人も多かったと思う。
職業柄か、酒席ではよく講釈をされていたが、貝谷さんの話はすべて道筋が通っていて反論の余地がなかった。

東海北陸大会が終わって、「そのうちまたゆっくり飲もう」とお互いに言っていたのが最後になった。
もうお会いできないのかと思うと悲しみがこみ上げてくる。今このブログを書いていても涙が止まらない。「バカ野郎、この程度のことで泣くなよ」と、貝谷和尚に叱られそうだ。

author:辻ひとし, category:惜別, 23:12
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麦雨の空
午前中、議員になる前からお世話になっていた方の葬儀に参列する。
急死だった。亡くなる4日前に三国町内でお会いしたとき、「民主党は鳩山でなくてはいかん」「この前糸川正晃に会った、あの男はいいぞ。きっと立派な政治家になる」とおっしゃっていただいたのが最期となった。
謹んでお悔やみを申し上げますとともに、在りし日のお姿を偲びつつ、ご冥福をお祈りいたします。
author:辻ひとし, category:惜別, 18:34
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さようなら碇貴之君
三国南小学校で一緒にPTA役員をやっていた坂井西警察署刑事の碇(いかり)貴之君が急死した。働き盛り、43歳の死はあまりにも早すぎる。
彼の訃報は新聞やテレビで報道されたため、一昨日は驚いたPTA関係者からの問い合わせで私の携帯が鳴り続けた。

碇君は、その風貌から“PTAの用心棒”などと揶揄されていたが、警察官として常に犯罪を憎み、悪を追いかけていた。
その一方、無類の子ども好きで、以前から少年野球の監督やコーチを引き受け、忙しい仕事の合い間をぬって子どもたちを指導した熱血漢だった。

二年前、福井署から三国署(現坂井西署)に異動したとき、私が「勤務先が近くなってよかったじゃないか」と言うと、「今年の三国祭りは警備に回されるから飲めませんわ」と無邪気に話していた。
小学校の運動会では、いつも先頭になって、自分の子どもがいる組を応援する彼の姿があった。どこか子どもっぽいところが彼の「持ち味」だった。

今日のお通夜では、警察関係者やPTA・学校関係者に交ざって多くの児童・生徒が焼香をしていた。
碇君、これからも子どもたちを守ってくれ。
私たちは、がむしゃらで時として荒っぽかったけど、どこか無邪気で憎めない碇貴之という男を忘れることはない。

福井港で坂井西署員の遺体 捜査車両ごと海中から
県民福井 平成19年6月1日
http://www.chunichi.co.jp/kenmin-fukui/article/kenmin-news/CK2007060102020747.html
author:辻ひとし, category:惜別, 20:40
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輪廻転生
午前中、広瀬潤一坂井市議会議員の奥様の告別式に参列する。50歳代半ばでのご逝去はあまりにも早い。
先週の大和久米登議員のご母堂、伊藤聖一議員のご尊父に続き、このところ市議会議員のご家族のご不幸が続いている。考えてみれば、どの議員のご両親も高齢だ。

輪廻転生と言うが、人は何度も転生し生まれ変わるということがあるのだろうか。手塚治虫氏は生前の講演で、「人間というのものは、長い生命のつながりの中でほんのわずかな部分が人間でね、生命というものは、ほんのわずか50年70年100年のものではなくて、もっとスケールの大きなもの、宇宙的なものだと思います」 と話していた。

なるほど手塚治虫さんの言うことも一理ある。それにしても、若い人の葬儀に出るとやはりセンチメンタルになってしまう。慎んでご冥福をお祈りします。
author:辻ひとし, category:惜別, 23:26
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